建設省や同省の意向をうけた県の強い「指導」という名の圧力がある。自治体の自治に厳しい枠をはめようとする最高裁の姿勢もある。しかし、同じ行政指導でも、議会と住民を背景にしているだけに、条例の方が権威が強いことは改めていうまでもない。ひるがえって考えてみれば、都市の問題に限ってもこれだけ多数の要綱と条例ができていることは、もはや「国家高権論」による全国画一の都市法の体系が限界をこえていることを証明している。
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国家主導の都市計画にかわるものは何か。自治体が「こそくな」法的テクニックを使わずに、それぞれの市町村にあったまちづくりをするにはどうすればよいのか。すでに道はみえている。要綱の時代から、より地方の声を反映させた条例の時代へ。そして各地で高まる地方分権論。「国家高権論」はまがりなりにも民主主義を掲げる日本にはそぐわない。先進各国では、都市計画は地方自治体の仕事になっている。それが、地方自治の道であり、民主主義の道である。したがって、日本の都市、それに関連する土地、住宅問題を解決するには、自治体の自主的なルールの制定権をしばっている都市計画法や地方自治法といった法律の方を改正して、きちんと自治体の問題は自治体で解決できるように立法権を認めるようにすべきだろう。